1998年

現在の主宰である、ビーグル大塚(当時、ビタミン大使「ABC」に在籍)と占部房子でユニットとして結成。
第1弾「メゾン・ド・金春の二人組達」を、アール・コリン(現在の荻窪小劇場)にて上演。
以降、全ての作・ビーグル大塚、演出・チャーリー軽木。
第1弾より、劇場公演の音響は全て、三木大樹氏に依頼。
第2弾「その日、韮原さん、疑惑を抱く。」を、アール・コリンにて上演。

1999年

第9回ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルinフジタヴァンテに出場。
第3弾「今度は、鳥糸さんの番。」を、中野あくとれにて上演。
ここまで、舞台セットは自分達(劇団員の自宅にて)で、作成。
森 耕平、入団。

2000年

3月、第4弾「最後は沈丁花さんの歌。」を、中野あくとれにて上演。
劇場向かいにあった小料理屋さんより、本物の沈丁花の鉢植えを借りる。
劇場内に、本物の沈丁花の匂いを漂わせてみた。
照明、福田さやか氏と出会う。
占部房子、退団。

2001年

3月、第5弾「筒井筒さん、その時 約束を果たす。」を、明大前キッド・アイラック・ホールにて上演。
9月、第6弾「そして、砂名堂兄弟 山で泳ぐ。」を、西荻WENZスタジオにて上演。
菅野さおり森 奎伍、入団。

2002年

6月、第7弾「世界の誰より、私は遅い。~雫石さんの恋~」を、ザムザ阿佐ヶ谷にて上演。
美術家、伊藤雅子氏と出会う。
以後、全て伊藤雅子氏により舞台美術デザイン。

2003年

2月、第8弾「安中さん達の雨宿り。~おどりばハウスにて~」を、西荻WENZスタジオにて上演。

2004年

6月、第9弾「阿南田くんには皺がある。」を、ザムザ阿佐ヶ谷にて上演。
大野泰山、入団。
11月、第10弾「江田鳴さんの蛇。」を、中野MOMOにて上演。

2005年

6月、第11弾「そこは、山中山君の席。」を、中野MOMOにて上演。

2006年

3月、第12弾「先橋さんの脚の間に。」を、中野ザ・ポケットにて上演。
10月、Mama-チャリカルキ vol.1「今夜、此野岸さんが待つ店で」を、関東の計14カ所にて上演。

2007年

4月〜5月、Mama-チャリカルキ vol.2「蓮音さんの掴んだ糸は、」を、関東・東北の計20カ所にて上演。
11月、第13弾「この人と生く。~瀬良美さん達の一週間~」を、新宿三丁目SPACE雑遊にて上演。

2008年

1月、森 奎伍が休団、大野泰山が制作のみ協力に転向。
4月〜6月、Mama-チャリカルキ vol.3「花守さんは憶えていた。」を、関東・岩手・静岡の計15カ所にて上演。
11月、第14弾「世界の誰より、私は遅い。~雫石さんの恋~」を、新宿三丁目SPACE雑遊にて上演。

2009年

青木若菜、入団。
9月〜11月、Mama-チャリカルキ vol.4「宿堂さんの見たイリュージョン」「今夜、此野岸さんが待つ店で」「千厩図書館の子ども達 〜コノギシさんの不思議なランプ〜」を、関東・東北・静岡の計16カ所にて上演。

2010年

6月〜7月、Mama-チャリカルキ vol.5「真夏のキャロル」を、全国の計24カ所にて上演。

2011年

5月〜7月・10月、Mama-チャリカルキ vol.6「脚立。」「真夏のキャロル」を、全国の計26カ所にて上演。

2012年

6月〜7月、Mama-チャリカルキ vol.7「GENBA(現場)」を、全国の計22カ所にて上演。
8月、第15弾「ノビ師」を、新宿三丁目SPACE雑遊にて上演。

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