チャーリー軽木の記録(パンフレットに寄せたコメント)

劇場公演第9弾「阿南田くんには皺がある。」より

『ツナエ・コセキ』私の初恋の人だ。
彼女とは美術館で初めて会った。大きな街の中心にある古い美術館だ。
今でも覚えている。ピンと背筋を伸ばして椅子に座っていた。
着ているブラウスと同じくらい白い肌で、真っ直ぐな黒髪が小さな顔を縁取っている。
細い首筋のホクロが私と同じ位置にあるのを見て、例えようもなく嬉しくなってしまった。
若さだろうか。一方的に再会を宣言し、美術館を後にした私は、早速彼女のことを調べ始めた。

東洋の小さな島国に生まれた彼女は、夢と希望を抱いてこの国にやってきた。
友人を作るのが得意な彼女は、あっという間にこの国の言葉を覚えてしまったのだそうだ。
どうやら無口なのは美術館の中だけらしい。
その上ギャンブルの才能があったらしく、あちこちのカジノを荒らし回った。
私が彼女の祖国まで行って芝居の演出をしても、彼女の稼ぎには到底及ばない。
その内にどのカジノも出入り禁止になり、「これは社会が悪いのよ」と何かの運動団体に入り、政府の建物の前でハンガーストライキをした。
私も一度やったことがあるが、一日で挫折した。
ところが彼女は二時間で飽きて、集まった野次馬にサンドイッチを売った。
その野次馬の中にある有名マジシャンが居て、目を付けられた彼女は助手として全国を回った。
鳩をポケットから出したり、出した鳩をしまう場所がなくて飲み込んだりした。
その後病院にかつぎ込まれた。

ある時野外で水中脱出に挑んだ彼女は、自分の入った箱の鎖を切るつもりで、箱を吊していたワイヤーを切ってしまった。
百万人が見守る中で、世界有数の滝壺に彼女は流されてしまった。
本人もショックだったのだろう、あまりに朗らかな笑い声が尾を引いて消えていったそうだ。
その滝は緩やかな川となり、私の住む町を抜けて海へと注ぐ。
ある朝岸辺に流れ着いた箱を見つけ、中でとんでもない姿勢で気絶している女性を見つけた男が居た。
献身的な介抱の後、意識を取り戻した彼女は、やがて男と恋に落ちた。
…それは、私ではない。

男は、貧乏な画家だった。
人の好い田舎者の男は、記憶を失ったどこかの令嬢という彼女自身の触れ込みを死ぬまで信じていた。
人が良いにもほどがある。
彼女との間に九人も子供を作ったが、傑作はたった一枚しか描けなかった。
それは、遠い街の大きな美術館に納められた。

彼女は、やがて若き日の自分に出会い恋に落ちる孫に、夫との出会いをこう語った。
「あれは、私の祖国の民話『ウラシマタロー』にそっくりだったわ。」
祖母は、祖父の亡くなった翌年、町内のパイ食い大会で食べ過ぎ、見事優勝して死んだ。
私は時々、そして今も、きちんと座った彼女の前で「それはモモタローでしょう」と直るはずのない訂正をつぶやいている。

美術館にて
チャーリー軽木

劇場公演

Mama-チャリカルキ

Mama-チャリカルキ 番外編

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