チャーリー軽木の記録(パンフレットに寄せたコメント)

劇場公演第3弾「今度は鳥糸さんの番。」より

「なんてことないネ。」
友人であるハリ・サトゥール氏は、口笛を吹いた。私はうっかり崖の下を見てしまった。
慌てて顔を上げると、溜息が出るような景色が広がっている。
この世界を、「星」として認識できるほどの広角な風景がそこにある。
彼の誘いに乗って良かった。と思っていると、ハリ・サトゥール氏がいない。
もう下り始めたのだろうか。立ちこめる靄の中、下りの山道に目を凝らす。
はるか下の方でハリ氏が踊っている。大声で歌も歌っている。
「腰抜けチャーリー、ヘッピリ腰チャーリー、お山に住み着くつもりかイ…」
ひどい音痴だ。山登りの間中この歌を歌われている。参る。

息を切らしながら追いつくと、なんと彼は尻を出して踊っていた。
周囲に生えていた短い草は、いつのまにか幹のしっかりとした低木になっていた。
私は山登りは素人なのだ。
馬鹿にするにもほどがあると怒ると、ハリ氏は答える代わりに小さい木の実を差し出した。
「渇きが癒えるヨ。素人でここまで登れたのはジョーデキ、ジョーデキ。」
飴と鞭をうまく使い分けている。

教え方が上手く、卓越した登山技術を持つこの登山家は、世界中の大抵の山を踏破しているが、一日五回訪れるお祈りの時間を厳守しながら登るため、「世界一遅い登山家」として有名である。
君の信じる宗教は登山の障害にならないのか?と、かつて聞いたとき、ハリ氏はなんて愚かな事を聞くんだという顔でこう言った。
「気に入った靴を履くのに、君は足を削るかイ?僕なら靴紐を緩めて履くネ。脱げなければいいのサ。」
確かに馬鹿なことを聞いたなあと思いながら木の実を口にする。途端に彼はゲラゲラ笑い出した。
「食べやすいように、ココで暖めといたヨ」と言いながら自分の尻を指差す。
私は木の実を谷間に吹き飛ばした。

私が飛びつくより先に、ハリ氏は駆け下り始めた。速い。負けてなるものか。
しかし、こんなに早く駆け下りるのは正しい下山の仕方なのだろうか。
私は腕時計を見て気がついた。もうすぐお祈りの時間だ。
山羊のように駆けていくハリ氏も、その時は止まる。追い付いて一発食らわしてやる。

木々は下るにつれて背が高くなり、種類も増え、生い茂る深い森となってゆく。
空気が濃くなり、しっとりとした風が私の周りで渦を巻く。
その風に乗ってハリ氏の間抜けな歌が聞こえる。
地面は砂地から落ち葉の積もった柔らかい土になっている。
森が急に途切れると、小川の流れる川原に出た。その川べりにハリ氏がひれ伏していた。
先程とは別人のように微動だにしない。方角は正確だ。
山と、信じている何物かに彼は抱かれている。
私はうしろを仰ぎ見た。濃緑の木々の合間に、我々がさっきまで居た頂上が見える。
あまりに早く降りすぎたのではないだろうか。もっとあの眺めを見ているべきではなかったのか。
汗と共に、気持ちが流れ落ちていくように思えた。

「あんなに遠くなってしまった。」
つぶやいた私に、祈りを終えたハリ氏がこともなげに言った。
「そのぶん何かに近づいたよ、ジョーデキ、ジョーデキ。」
この先には畑があり、道があり、町がある。
私が演出することになっている、小さな島国の小さな劇団がある。
『よろしくお願いしますっ!』彼らは私を待っている。ハリ氏は笑っている…。
「ハリ・サトゥール、また山登りに誘ってほしい。」
彼の肩に手を置きながら私は言った。
もちろんその時に、さっき捕まえたカメムシを背中に滑り込ませてやった。

山にて
チャーリー軽木

劇場公演

Mama-チャリカルキ

Mama-チャリカルキ 番外編

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